1/14(日)レオン~オスタル・デ・オルビゴ
朝八時。お菓子と果物を食べてホテルを出る。暖かい部屋が名残惜しい……などと思いつつドアに鍵を差して歩きだす。
巡礼路はレオンの街中を通って、大聖堂やサンイシドロ教会などを順に巡ってから街を出ていく。天気はいいけどあちこちに雪が残っている。
レオンからアストルガまで二日で行きたい。そしてアストルガの司教館を見たいので二日目の距離は短めに。なおかつ時期的に開いている宿は……などと考えると今日は約30キロ歩くしかないという結論に。
大丈夫。一日休んだしなんとかなる。
新市街のほうかな。市役所みたいな建物は大聖堂や教会とは全く違う雰囲気。
そして融雪剤を撒く人は今日も早朝から頑張ってくださっていた。おかげで街中に関してはすいすい歩ける。
住宅地や平地のうちにがっつり歩いて距離を稼ぐんだ、と思っていたが、市街地から離れていくと雪で足元の悪い所が増えていった。坂や階段みたいな場所も歩いたけど滑ったらどうしようと滅茶苦茶怖かった。杖があってもリュックを背負っているのでとっさに体勢を立て直すとかそういうのは難しい。出来るだけ落ちついてゆっくり歩く。
除雪されていない歩道も雪が凍ってしまった道もどんどん増えていく。
私みたいにレオンに数泊する人や、レオンから歩き始める人も多いのだろう。朝に街を出てから私を追い抜く人、見かける人はこれまでの街で見ていない顔だったりした。
明るくなって少し経った辺りでわりと年上の男性に声をかけられる。
Rさんというその人はミラノから来ていて、英語は話せるけどあまり得意ではないらしい(とはいえ私と比べたら天と地レベルで話せる人なのだが)。でも話し好きのようでこれまでの巡礼の話をたくさんしてくれた。同じブルゴスから巡礼を始めた仲間でもあった。
英語が母語でないRさんはゆっくりと、比較的簡単な単語を使って短文で区切った話し方をするので私にとってはとても解りやすかった。
昨晩はアルベルゲでパスタを作ったとか。そして一緒にいた韓国人の男の子にも振る舞ったが彼は物凄い勢いで美味い美味いと食べた、というような話をジェスチャー付きで楽しそうにしていた。料理が得意なのが自慢らしい。あと日本人の女の子とも仲良くなったよとかでFACEBOOKを見せられた。私も訊かれたけど残念ながらFACEBOOKとか本名系のSNSはやっていない。
途中お腹が空いたのとトイレに行っておきたいのとで道端のカフェに入る。チョコデニッシュとカフェコンレチェ。どうせ歩くぜと思うともはや甘い物を食べるのも飲み物に大量の砂糖をぶっ込むのも躊躇いがない。むしろ食べておかないと寒さと空腹のコンボは危険だ。
途中私達を追い抜かしていった人がいたんだが、それがあんまり美人さんだったので思わず視線で追ってしまう。多分結構若くて大学生ぐらいかなと思うんだけど、一瞬女性かと見まごうような綺麗な男の子だった。するとRさん曰くあれはドイツの男の子だよ、とちょっと知ってる素振りだった。
途中、Rさんが植物を書いた看板を指さして何か言う。
聞き取れなくて看板の絵を見てメープル??? と困惑していると彼がまた言う。今度はちゃんと聞き取れた。この葉っぱはメープルじゃなくてマリファナ……ここは大麻の店なのか。
ほー凄いものがスペインにはあるんだな-、などと思いつつも健全な徒歩旅なので当然寄らない。
商店のある通りを過ぎると、建物はそこそこあるのに人気のない地帯に入る。会社? 工場? みたいな四角くて愛想のない建物と後は道路と車、みたいなところ。そして滑るのが怖い坂道も再び出現する。
雪の上をあえて楽しそうに歩くRさんの背中を撮影。Rさんに限らず欧州の人(というかスペインから比較的近いところから来てる人)は荷物が少ないタイプが多かった気がする。上下身体にぴったりのスポーツウエアで防寒はダウン一枚に任せた、みたいな思いきりのいい服装が多かった。何かあったら買えばいいや、みたいな感覚なのかも。韓国の人のが帽子なり着替えの服なり多めに持っているタイプが多いような。
わりと楽しそうに雪の上を歩いていたRさんと後ろで雪のない車道を歩く私。
そこからしばらく歩いたところで巡礼路の分岐点があった。
北(右)の道は現在の巡礼路。広い道路に沿った道で最短。南(左)の道はメインルートではないけど、自然が楽しめる少しだけ長い道。
私は最初から道路沿いをいくつもりだった。南の道の情報は持っておらず、今日の目的地は30キロ先だし、何より足元が悪い。自然を楽しむにはこの雪は心配だった。
Rさんは南の道を行くつもりだったようで、出会って二時間足らずで別れがきてしまった。お互い名残惜しかったけれど無理に引き留めたりもしない。行きたいほうに行くのだ。
今日の目的地であるオスタル・デ・オルビゴで道はまた一つになるはずだし、どこかでまた会えるかも。
道を少し外れると雪の残った平原だ。天気はいいのに雪は昨日から残ったままのよう。
分かれ道の看板は二か所ぐらいにあった。
一人になってからすぐに、道路沿いの道も車道以外は雪だらけになった。道の脇の誰も踏んでいない雪はとても綺麗でうっかりしゃがんでは触ったりしていた。
カービィだって描いちゃうぞ! でも遊びすぎると厚い靴越しでも足が冷えてくるから注意。
道路沿い、とはいえ巡礼路は道路に沿った土の道なので普通に積もっている。
途中で凍った道ですっころんだりした。服の上からでもしっかり膝を擦りむいていて、これを書いている今もまだ少しだけ痕が残っている。……老化とは傷の治りが遅くなる事……。
その後もう一度転ぶ。仰向けに、リュックがクッションになる形でこけたから怪我はなかったんだけど向かいで犬の散歩をしていたお兄さんが慌てて駈け寄ってきてくれたよ。
そこから暫くは足元が不安なので出来るだけ道路寄りの雪の少ない側を歩いていた。
しばらく歩いた先に謎の吊された靴。確実に手の届かない高さなんだけどなんだろうね。
ご近所の家にわんこ。塀に近づくと二匹揃って駈け寄ってきた。可愛い。
午後になると雪は溶けて歩きやすい道がまた増えてきた。
トイレに行きたくてたまらない。山の中ならどうにでもなるがこんな車の多い大通り沿いでそのへんで済ますのは女子としてどうなのか。焦っていたらちょうどいい感じにカフェがあったので入る。
入口にホタテ貝のマークがあったし巡礼向けでもあるんだろうけど、今の時期は巡礼路に併走している道路を仕事で走ってるドライバーが客の大半、みたいなカフェだった。女子は私一人、なのでお手洗いは待たずに済んで本当助かったぞ……。
カフェコンレチェのビッグサイズだけ頼んだのにシナモンのフレンチトーストが付いてきた。隣のおじさんのコーヒーにはないが……? 巡礼向けサービスなのかレディースサービス的なやつなのかは定かではなかった。
お金を払う段になって、「イチトヨンジュウキュウ」と言われて面食らう。
ワンでもウーノでもない……?と頭がすっかり混乱した状態で、とりあえず足りるだろうと2ユーロ出したらお釣りが51セント。「ありがとう」と言われてやっと日本語だったと気づいてこっちもありがとうと返す。
あまりにも日本語通じないし巡礼だとだいたい韓国人だと思われるから向こうから言ってくれるはずがないと思いこんでたんだねと反省。
歩きやすくなってきた道。でも日が傾き出すとあっという間に寒くなる。
レオン州は巡礼路の目印もそれまでとは形が違う。というか州ごとに違うのかな?
オスタル・デ・オルビゴ Verde Hostel
宿泊予定の街へ着いた時にはもう日が暮れかけていた。
長い橋みたいな石造りの道の向こうに街がある。ここからが長いよね……と思いながら歩く。ここ自体がこの街の名所みたいで、私も写真を何枚か撮った。
橋を渡りきりやっと街中へ。
この街に泊まれるアルベルゲはアプリだと三つ。街の入口の私営と、中心の公営と、街外れの私営。街の入口の建物は目立っていたけど、道から少し離れていたので、まあ巡礼ルート沿いの公営でいいかーとそのまま歩く。10分ぐらい。まあそれが間違いだったよね。
公営アルベルゲには、情け容赦ない「Close」の文字が。
その下にここは開いてるよってチラシが貼ってある。街の入口と、街外れと二か所。ぶっちゃけもう歩きたくない。でも戻るか進むかだったら進むしかないだろ、って事で街外れを目指す。
最終的にこれが大正解で、この旅で一番好きになれたアルベルゲに巡り会えました。
ベルを鳴らしたら男性が出てきて、中に入ったら男性と女性がもう一人ずついたから先客かなと思ったけど今日泊まる巡礼は私一人みたい。道中見かけた皆はどこに泊まっているのだろう……と思う。
エドとアヤとパブロという三人がやっているらしい。まずどうぞ、といただいたハーブティーが冷えた身体に染み渡る。
宿泊は11ユーロ(多分)で、夕食と朝食は寄付なので明日発つ前にこの箱に気持ちを入れて、という事で近くに店もないしここでご飯も食べると決める。
シャワーを浴びてすっきりした頃にご飯。
米かパスタかと聞かれていて、パスタと答えていたけど想像していた麺じゃなくて1センチぐらいの短いやつをご飯みたいにした感じで、豆と野菜たっぷりのパエリアに近い食べ物だった(名称が分からず語彙もない……)あとは野菜のクリームスープとサラダとデザートと。
食べる前にパブロによる歌とギターの演奏が始まって一瞬びっくりしたけどとりあえず手を叩く。これは人数が多かったら楽しかろうなと思ったけど私一人でも十分楽しかったわ。いや、こんな歓迎されるの嬉しいし。
食べてる途中であっこれもしかしてビーガン食ってやつかな、と気づいたけど失礼でない英語での訊ね方も分からないし美味しいのは間違いないのでそのまま食べる。一人分にしてはかなり多いぞ……と思ったけど途中からエドが食卓に加わったのでちょっと多いぐらいで済んだ。
パブロとアヤはカップルでそのどちらかとエドが兄弟なのかな? 途中でエドのお母さんという人が帰ってきて私はなんか誉められた。
食事後、パブロとアヤは先に帰り(家は別にあるらしい)、お母様も帰り、私は食卓で日記と小説を書き、エドはパソコン机で事務仕事をしたりテーブルでハーブティーをティーパックに詰めたり。
ノーパソ持ってきたエドが絵葉書を見せてきて、知ってるかと。千本鳥居の写真で隅っこに伏見稲荷と書いてある。裏は以前宿泊した日本人のお礼状みたいだった。
なんというか説明が難しかったのでエドのノーパソに「husimiinari」と打ちこんで検索。いろいろ出てきたみたいで喜んでもらえた。
日本のカミーノは四国島(直訳)って言うんだっけ? みたいな質問に、カミーノと提携してるのは熊野で、と言うがやはり英語力が足りない。四国八十八か所は仏教で熊野古道は神道、とか英語じゃ説明しきれないしそもそも熊野と四国がどれくら離れているかも私は正確には知らない。
うーん英語力と知識と両方必要だ、と改めて実感しつつ言える限りの説明をしてみたけどほぼ翻訳頼りでした。
私が寝る前にはエドは明日の朝食の説明をして帰っていった。机上のブラウニーと果物と、あとパンとシリアルもあるよと。私一人なのにそんなに選べるとか豪華……。そしてシリアルにかけたり飲むのは豆乳とココナッツミルクとアーモンドミルク? やっぱり牛乳や動物性蛋白質はないし、ハーブティーも手作りだしビーガン的な食生活をしてるおうちのようだった。
肉が食べられないのが大丈夫なら最高の宿だったと思うし行く人にはここがいいよって勧めたい。もしまた歩くならここ泊まりたいと思う。
建物内に一人だったけど、夕食時をとても楽しく過ごしたのと30キロ歩きの疲れもあって、楽しい気分のままその夜はすぐ寝てしまった。