真冬のスペイン巡礼記

2018年1月、ブルゴスからサンティアゴ・デ・コンポステーラを巡礼してきました。

サリア~ポルトマリン

 朝起きて身支度をし、朝食会場の地下の食堂へ。

 ドミトリーには私一人だったけど、同じ建物の多分ダブルルームに泊まっていたカップルらしき男女と三人で食事。

 ホスピタレイロのお姉さんが持ってきてくれる朝食がとても豪華で朝から食べる食べる。焼きたての小さめトースト三枚をジャムとかハムとかチーズで平らげ、更に温かいホットケーキもいただきバナナも食べる。飲み物もお代わりして幸せ……これ5ユーロなら全然ありだわ、と後で玄関に置いてあった宿泊者のコメントノートにここに泊まるなら朝食はぜひ食べてゆけ、と日本語で書いておいた。

昨日もいた宿の犬は今日も食堂にいた。巡礼者を見かけても気にも留めずに遊ぶか寝ているが、朝食の分け前を貰えるかもという気配を感じると一直線に走ってきてちょうだいちょうだいのポーズ。

とはいえテーブルの上は加工食品だらけだし人様のお宅の犬に塩分あるハムとかチーズはいいのか分からんからやめておこう、と傍観する私を完全に無視してカップルのお姉さんのほうに懐きまくってチーズをもらうわんこ。

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この視線の先にチーズをくれるお姉さんがいる。

決して自ら椅子やテーブルに乗ろうとしないあたりはきっちり躾けられている様子。食い物をくれる人のところに一直線で私には目もくれない。

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お腹いっぱいになって、だいたい九時頃に歩きだす。

サリアを出て少し歩くともう山道。でも、水の匂いや周囲の湿気が一昨日のアストルガまでとは全然違う。寒波が去ってかなり暖かくなっただけじゃない、植生の違いみたいなものがある

サリアから先の山は日本の田舎の山に少し似ている。踏みしめると柔らかい腐葉土。苔むした岩や冬でも地面には緑が見えるあたり、小さい頃に遠足や家族と行った山や近所の謎の林を思いだす。

湿気もかなりあってアストルガまでの雨雪さえ降らなければ乾燥している空気や地面とは全然違う。小川もあれば、川でないのに水が出ているようなところもある。

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少し歩いた先でこんなのを見つけた。

後113キロ、とはっきり書いてある。巡礼の標識は地域によってデザインが違うけど、ガリシア州はこれ。ここからラストまではこの青と黄色の石碑みたいなやつを目印に歩いていくようだ。もう今日中にはラスト100キロに到達するのだなあと思うと感慨深い。

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それからまた暫く歩いていき、若いアジア人の男の子に抜かされた、と思いきやハロー、の後に何となくお互いこんにちは、と言っておお日本人だー、と自己紹介したり話をしたりした。彼も私のリュックに付いてるカービィちゃんのでかいキーホルダー(というかボールチェーン付きの大きいコースターをずっと吊していた)と横のポケットに突っこんである龍角散のど飴を見て多分日本人、と思ったらしい。

カミーノで会う二人目の日本人のD君は、大学休学して一年間の世界一周旅行の途中にカミーノを知ったからローマから歩いてきたよ、というとんでもない青年だった。

ローマでこれからどの国行くかー、ってタイミングでカミーノの存在を知って、周辺の教会で詳細聞いてたら周りの人が(この子全然知らないのにいきなりスペイン行くとか言いだして大丈夫か……?)なんて心配して色々教えてくれたり経験者の人がガイドブックを譲ってくれたりしてイタリア→フランス→スペインと歩いてきたとか。彼自身とても好奇心旺盛で人と交流するのが上手な子だったけど、そこを抜きにしても巡礼の道を歩くと必要な人に会えて必要な物に巡りあえる、というのを改めて実感する話だった。

彼は大学生なので、日本帰ったら就活だとか、それなら無職になったばかりの私も同じだとかそんな話をしつつ、途中の宿がどうだったとかの話などもしつつ一緒に歩く。

「実は昨日の夜レストランでユキさんを見たんだよね。一緒にいた韓国人の女の子と、ユキさんが日本人か韓国人か当てようとかやってた」

そうなのか。私のほうは同じ店にいた子だなんて全然気がつかなかったよ。

その韓国人の女の子とも途中の道で会いました。やっぱり親しみやすい子で、彼女はどこでもいつもカフェコンレチェを飲んでるのでカフェコンレチェといえば彼女の事みたいになったんだってD君が言っていたが、私も(炭酸とかがあまり得意でないのもあって)同じようなものなので笑えなかった……。

転職や就職したらなかなか来られないねえ足腰が元気なうちに来たいけど、と言ったらけど僕は70代で一日30キロとかもすいすい歩いていくお爺ちゃんに会ったよ、と言われる。凄い人もいたもんだなあと思ったが、私も後日そのナイスなお爺ちゃんに遭遇する事になる。

 

喋りながら歩いていても青地に黄色いホタテ貝の石碑は数百メートルおきにあるので全然迷わないし次の石まで行ったら休憩、みたいのもやりやすい。

100キロ地点そろそろでない? と言いながらふと見たら100キロ過ぎちゃってる!!!

99.930キロの石碑。矢印とか落書きしてあるのは近くに順路を無視しても行くべき名所があったりこっちの道がちょっと良い感じよ、みたいなのだったりらしい。あと巡礼路を直行せずに泊まるならこちら、みたいな時もある。

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なんで? なんで100キロ見過ごした? と、100メートルもないからD君と一緒に戻った先で見た物は…………汚い。汚すぎる状態な100キロ碑。

こんだけ落書きされてたら印象変わりすぎで逆に見落とすわな……と呆れながらそれでも記念写真を撮る。

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記念写真。ちゃんとここまで来たんだぞというやつ。

外でノーメイクを全く気にせず笑って写真を撮るなんて下手したら学生の頃以来なんじゃなかろうか。歩き始めてからどうせ崩れるしゆっくりメイク落としも出来ないしで日焼け止めと乾燥防止リップしか塗ってないがその状態で初対面の人と話すのももう全く気にならない。

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落書きは確かに良くない事だけど、と思いながら考える。ここに来るまでの他のカミーノの目印にも名前や小ネタっぽい落書きをたくさん見た。一応皆気をつけてはいるようで、落書きの大半はカミーノ絡みの標識や看板のみでそのへんの街の壁やらに犯人が巡礼とわかる落書きしてるのは殆ど見かけない。

この中の何人がもう一度自分の名前を書いた場所を訪れるのだろうとか、旅も終盤になって私はいつかもう一度この道を歩くのだろうかとか。

落書きの他に、後半になってくると標識や景色の綺麗な場所に人物写真が一緒に置いてある光景を何度も見て。もしかしたらこれはこれを置いた人の、一緒にここに来たかった誰か、だったりするのだろうかとか考えながら歩いていた(何か別の意味があるのに私が知らないだけかもしれないけど)

自分の名前、誰かの写真を異国に残していく意味を考えても答えはそう簡単には出ない。

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歩くのが速い人達を見送る坂道。

景色は綺麗で、天気はよく指先が凍えたりしない気温が戻ってきて。

とても好条件なのに、このあたりで体調に異変が起きる。

何だかんだで慣れないというか初めての長旅で、普段運動不足の身体に負担がかかり過ぎたんだろうなあ……背中、痛くなってきました。

リュックを背負って引っぱられる感じが駄目なのか、十五分も歩くと背中が酷く痛む。立ち止まりリュックを下ろすとすぐに痛みは引いていくし背中を曲げたりするのも平気だが、背負うとまた復活する。

足は快調なだけにもどかしいけれど、何年も前とはいえ一度腰を痛めた経験があるので、無理してグキっといって全く歩けなくなるのが一番怖い。

D君にも先に行ってもらって(というか私のペースが落ちすぎてもうどうしようもない)一人でのんびり歩く。少々の痛みとかどうでもよくなるくらい景色は明るくて、水と緑の匂いのする土地を歩くのは楽しい。まあ、結局この背中の痛みは帰国後二か月ぐらいじわじわ続いたんだけど。

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こ、この橋を渡った先に見えるのが今日の目的地ポルトマリンだ……。

腰より高い柵がある。車道と歩道も別れている。けれど、リュック背負ったままふらっとぶっ倒れたら沈むな、とかどうしても考えてしまってお腹がきゅーっとなる高さの橋。しかも長い。風も結構強い。あんまり高所恐怖症ではないはずなんだけどおっかなびっくり歩く。

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ポルトマリンは斜面に作られた坂の多い町で、橋を越えてもその後に続いている長い階段で心が折れそうになる……階段を抜けたら続く坂道を上ってアルベルゲのある方向へ向かう。

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Portmarin Pilgrims Hontel de

5ユーロ。アルベルゲもいっぱいあるけどまあ大半閉まってるんで公営に。広いし、こんなに人がたくさん泊まってるのを見るのは初めてでああ最後の100キロなんだなあという感じ。

D君達は背中痛いで休んでいた私より一時間以上早くに到着していたんではなかろうか。とはいえ16時頃には町に入り、同じ宿で再会して後で一緒にご飯食べようなどと言いあう。というか私が彼らのグループに入れてもらった感じだな。

買物に行って、そこで味の素のカップ焼きそばを買う。海外仕様にアレンジされてるのかなとか気になったのとジャンクな味が恋しかったのと。ここのキッチンで熱湯が使えるのかどうか解らないけど(電気ポットの使えるところは少なくて、お湯が欲しかったら鍋かやかんで沸かすアルベルゲが多い)まあ電子レンジあったから明日の朝ご飯これでも最悪何とかなるだろう。後ポッキーも買った。MIKADOって名前になってるやつ。

夕方に一緒に食事に行く。D君が「この時間が一番頭を使う」と言っていたのが印象に残っている。

D君は僕も日本を出た直後はユキさんぐらいしか話せなかったですよ、とか言いつつかなり話すし積極的にどんどん交流していく。多分私が同じ時間だけ海外を歩いても同じようにはならないんだと思う。それはもう彼が若くて吸収力があるとかそういう話ではなくて、他人への興味の強さの違いなんだろうな、などと後から考えた。私はある意味一人で色々と考えたくて遠くまで来て一人で歩いてる部分があるけど、彼はどこまでも他者と他者の住まう土地への興味が強いのだろう。しかもちゃんと礼儀を弁えて好奇心を発揮するのでとても好かれていて、別の場所で日本人ならD君知ってるか? 彼はいい青年だ、みたいな事を言われたりもした。

食事は巡礼用のメニューで9ユーロ。あんまり記憶がないから可もなく不可もなくな感じだったと思われる。

一緒に食事したグループの方とはこの後もサンティアゴデコンポステーラに着くまで何度か食事をご一緒したりアルベルゲで一緒になったりした。

ご夫婦で来てる方もいて、年上の女性に声をかけてもらうとやっぱりほっとする。静かな道を一人で歩く日々は好きだったけど、最後の数日も賑やかで楽しかったのは確かだ。

もうすぐ旅も終わるというのに、結局夜中に4,5時間で一度目が覚める癖は治らないままだ。